【文責】 松本 健太郎
アドエビス開発ユニット所属 マーケティングメトリックス研究所准教授(自称)
「モーツァルトの言葉を知ってるか?曲を催促されたとき彼はこう言うんだよ。心配するな、もうできた。曲は…ここにある」。
彼はそう言うと、自分の頭を指差しました。
この夏、TBS系列で放映され大ヒットを記録した「半沢直樹」に登場したタミヤ電機社長・田宮のセリフです。このシーンを、全国のWEBマーケッターはどのような心境で見ていたでしょうか。
私の場合、直感で「この人に向けてKPIを説明するのは嫌だな」と思いました。
WEBマーケティングを成功に導くにはKPI設計が重要な鍵を握ります、という定番セリフを言おうものなら「KPIなど設けなくても売上は達成できる、そのストーリーは描けているさ。それは…ここにある」と言い返されるだけだと感じたからです。
理屈で攻めるか、感性に訴えるか、面従腹背で挑むか?そんなことを考えていて、ふと根本的な疑問が湧き上がりました。
KPIとは一体、何でしょう。
業績評価指標(Key Performance Indicators)という単語であることは知っています。
目標を達成するうえで、進捗度合いが測れる目安となるような定量化されている指標という概念も知っています。
例えばPV数やCV数、滞在時間などの指標でマーケティング活動のモニタリングを行い、その結果を踏まえて改善を施すために用いられていることも知っています。
しかし、このKPIという単語はそもそも誰が、どのような背景があって考えたのか全く知りません。
概念や使い方が本当に合っているのか、確認したわけでもありません。
皆が、当たり前のように使っているからこそ、私もそれを当たり前のように受け入れていましたが、果たして上辺の解り易い部分だけをすくって満足しているかもしれません。
そこで、本当にKPIの使い方は合っているのか、その本質は何なのかについて調べてみました。
誰が「KPI」を考えたのか
ロバート・S・キャプラン氏(ハーバード大学教授)と、デビット・P・ノートン氏(コンサルティング会社社長)が1992年、「ハーバード・ビジネス・レビュー」に掲載した1つの論文が全ての始まりでした(※1)。
その論文のタイトルは「新しい経営指標“バランスト・スコアカード”」(The balanced scorecard: Measures that drive performance)。
What gets measured gets done.(人は設定された指標に基づき行動する。)という言い回しをもじり、What you measure is what you get.(指標を設定したものしか得ることはでいない。)という書き出しで始まるこの論文。
財務的指標中心である業績管理手法の欠点を補う画期的な業績「評価」システムとして世界中で受け入れられました。
KPIは、この「バランスト・スコアカード」における、重要なツールとして世の中に初めて登場します。
両氏は、企業の経営戦略が殆ど失敗に終わるのは、従業員が戦略を理解した上で自分たちの業務に適用できるアクションプランに変換できていないからだと考えました。
つまり戦略を理解できないまま業務を遂行するため、失敗に終わってから経営者に報告が上がることに原因があると考えたのです。
そこで、事業戦略に合致していることが従業員にも視覚的に解るバランスの取れた「絵」に落とし込むことを両氏は考案します。
財務、顧客、業務プロセス、学習と成長、これら4つの視点に立って目的達成までの道筋を明らかにし、組織全体の戦略と局所の業務遂行を紐付けて「実行状況」を現場にいる従業員全てが把握し、何か異常が起これば自ら経営者に向けて警報を発する(現場にいながら経営者同様に意思決定を下す)ことを可能にしたのです。
これが「バランスト・スコアカード」の概要です。
KPIは、この「実行状況」をモニタリングするための測定可能な評価指標とされています。
例えば、財務の視点では売上成長率、プロジェクト収益性、顧客の視点では市場シェア、満足度調査結果、クレーム件数などが挙げられるでしょう。
言い換えるなら、これら4つの視点に立った評価指標で無ければKPIとは呼べません。あくまで、KPIとは企業活動の評価のための指標なのです。
誰がWEB業界に広めたのか
では、このKPIという概念を、WEBの世界に持ち込んだのは誰か。
それはWEB解析のパイオニアであり、「Web解析Hacks」の著書として知られるエリック・T・ピーターソン氏だと思われます。
氏は以下のように述べ、KPIを用いた意思決定を行うことを大いに推進する立場であることを明らかにしています。
「企業が最初に、ビジネスのゴールと、それを満たすための訪問者の行動を定めてしまえば、KPIはおのずと明確になる。「適切な」KPIレポートを社内の全員が手にしたとき、全員が同じ土俵の上に立ち、アクセス解析への投資効果を存分に活用できる」(※2)
いち早くKPIという言葉を用いていることからも、氏が「バランスト・スコアカード」に影響を受けて、それをWEBマーケティングの領域に置き換えた可能性が推測されます。
氏の多大なる功績により、KPIという単語の持つ意味は、「戦略目標の達成度合いを現場レベルでモニタリングできる指標(ただし「4つの視点」に限る)」という限定された使われ方から、発展・応用し、「目標達成度合いを図る組織内の共通言語」へと解釈が拡大したと私は考えます。
「アクセス解析を現在展開しているビジネスにどう適用していくか、というのは価値ある挑戦である。ここに、KPIの存在意義がある。KPIなら新しいツールの使い方を覚える必要は一切なく、ビジネスのゴールが直接示され、組織内で通じる言葉で表現される」(※3)
と氏が述べている通り、2013年現在、WEBマーケティングの世界においてはPVの意味も、CVの意味も、全世界で共通言語として通じる言葉となっています。
ツールに不慣れであっても、アクセスを解析することでビジネス活動の改善に役立てることは十分に可能となりました。
明かされなかった真実
1992年、カリフォルニア州クレアモント。「ハーバード・ビジネス・レビュー」に掲載された論文を読んで、怒りに震える1人の人物がいました。彼は直ぐさま編集長を通じてキャプラン氏とノートン氏に対して釈明を求めるよう要求しました。
彼の名はピーター・F・ドラッカー氏。「マネジメントのグル」と評される、20世紀の巨人です。
この話はドラッカー氏の死後に、彼の著書「断絶の時代」の日本版編集を担当した藤島秀記氏によって明らかにされた秘話です(※4)。
ドラッカー氏は、「バランスト・スコアカード」なるものは、自身が1954年に「The Practice of Management(日本語版:現代の経営)」において書き記したものであると藤島氏に伝えたことが明らかにされています(※5)。
なんと、KPIの本当の生みの親は、歴史を紐解けばドラッカー氏だというのです。果たして、それは真実なのか。さっそく本を手に取ってみました。
「現代の経営」という本は、簡単に言ってしまえば「事業の使命を定義し、戦略目標に向けてマネジメントする方法」が描かれています。
しかし、「バランスト・スコアカード」発表の約40年前の作品です。本当にKPIについて書かれているのか疑問に思いながらページを捲ると、刺激的な一文が目に留まりました。
目標設定の難しさは、いかなる目標が必要かを決定することにあるのではない。いかに目標を設定すべきかを決定することにある。(略)何を測定するかによって、注意を払うべきものが規定される。何を測定するかを決定することによって、目標が目に見える具体的なものになる。(現代の経営P.86)
KPIを設定するときに、いつも悩まされる話です。
目標(WEBマーケティングで言う「KPI」)が必要なことは理解しています。
しかし、なぜPV数でなければならないのか、なぜCV数でなければならないのかについて答えてくれる人は、どれくらいいるでしょうか。
PV数ではなく、平均滞在時間、「いいね!」数では駄目なのか?と聞けば、「じゃあ、それもウォッチしましょう」と片付ける人もいるようです。
今回のキャンペーン施策の目標を元に、どのような基準に基づいてKPIが設定されたのかと私なら問いたくなります。
では、ドラッカー氏は何に基づくべきと答えているでしょうか。
目標は、事業の存続と繁栄に直接かつ重大な影響を与えるすべての領域において必要である。(略)事業の存続と繁栄に、直接かつ重大な影響を与えるすべての領域において、目標が必要である。目標を設定すべき領域は八つある。マーケティング、イノベーション、生産性、資金と資源、利益、マネジメント能力、人的資源、社会的責任である。(現代の経営P.84)
なんと、8つの視点に立つべきだとドラッカー氏は提唱するのです。
「バランスト・スコアカード」ですら4つの視点でしかないのに、その倍である8つ必要だと言うのです。
果たして、そのような多角的な視点から目標設定することが必要なのでしょうか。
例えば、ECサイトのKPI設定と言えば、「売上と利益のみ」が定番ですが、それのみを目標とすることをドラッカー氏は真っ向から否定しています。
事業の目標として利益を強調することは、事業の存続を危うくするところまでマネジメントを誤らせる。今日の利益のために明日を犠牲にする。売りやすい製品に力を入れて、明日の製品をないがしろにする。(略)マネジメントとは、事業上の多様なニーズと目標をバランスさせることである。(現代の経営P.82)
もし、利益だけに着目するなら、ECサイト運営者の人数を減らし、少ないリソースを酷使すれば済むかもしれません。
しかし、事業の目標がドラッカー氏の言うように「存続と繁栄」ならば、それでマネジメントの人間が育つのか、その会社で働きたいと思えるのか、ということを考えなければならないようです。
後半の3つは、ドラッカー氏自身が認めているように定量化の難しい目標領域ですが、それを怠れば「活力のない凡庸なサラリーマン根性」を持つ組織を生むだけだと指摘しています。
これら8つの主要な事業領域の戦略的目標をバランスさせて不断に挑戦してゆくこと、これをドラッカー氏はコンサルタントとしての活動の中で『マネジメント・スコアカード』という道具名で呼ぶようになったそうです。
(もっとも日本における分身と評された上田惇生氏はその存在を否定しています。また彼は藤島氏の明かした経緯を知っていたのか、2006年版「現代の経営」においてバランスト・スコアカードはドラッカー氏から影響を受けていることを記載しています。生みの親はドラッカー氏だが、育ての親はキャプラン氏とノートン氏ということでしょう)
目標が自らの働きぶりを規定する
目標定義の基準が明確になったところで、どのような数字をあげるべきかについても最後に触れようと思います。
マーケティングの視点に立ったとします。
100件の資料請求が必要なら、先月の平均CVRが2%であれば、クリック数は最低5000回必要だと想定されます。
予算が月50万と決まっているなら、後はCTRとCPMのバランスになるのでしょう。
問題は、その数字で正しいことを誰が担保してくれるのか、ということです。ドラッカーの言葉を借ります。
マネジメントたる者は、自らが率いる部門の目標は自ら設定しなければならない。上司は、そのようにして設定された目標を承認する権限をもつ。だが、目標の設定はあくまでも部門長の責任であり、しかも最も重要な責任である。(現代の経営P.176)
ちなみに、マネジメントとは「自らの率いる部門がその属する上位部門に対してなすべき貢献について責任を持つ者」であり、目標については「地域担当の営業部長の目標は、彼とその部下である営業部隊が営業部門全体に対してなすべき貢献によって規定される」と定義しています。
つまり、自らの仕事を自らで定義し、目標を自らで定め、それらを管理することを提唱しているのです。
そのためには、自分の仕事を創るために、組織に求められる役割、そして事業のあらゆる領域について情報を持つ必要があります。
全体を知る時、初めて部分での目標を確立できます。俯瞰して見ることができない限りは、単なる部分最適でしかありません。
すなわち、その数字で正しいことを誰が担保するのかという問いへの解答は、自分自身ということになるかと思います。それが、プロフェッショナルなのだと私は考えます。
KPIに掲げた数値に到達しなかった場合、製品が悪いのでも、環境が悪いのでも、目標が高かったのでもありません。自分の「仕事のできなさ」に全てが起因するのです。
その意味において、佐藤尚之さんがブログにて「広告は、シャープやパナソニックやソニーをはじめとするクライアントの「本当のファン」を作れてこなかった」(※6)という心境を吐露されたのは、プロフェッショナルとして責任を果たせなかった悔しさが滲み出ていたと私は思います。
まとめ
KPIの生みの親がドラッカー氏なら、育ての親はキャプラン氏とノートン氏、そしてWEBの世界で活躍させた荒巻太一的存在がピーターソン氏ということが解りました。
そしてKPIの本質は、ドラッカー氏が「現代の経営」に記載した内容を総合的に勘案するに、「事業の存続と繁栄」という目的のために8つの視点からそれぞれ立てた目標を達成するための、自らの働きを規定する指標だということも解りました。
自らの働きを規定する以上は、組織全体の戦略と局所の業務遂行を紐付けて「実行状況」を把握できることは当たり前と言えます。
KPIはWEBの世界でなくてはならない存在になった一方で、当初の意味合いとは大きく変質しているようにも思えます。
自らの働きを規定するものから、評価するものへ、そして共通言語に変わることで、その数字の正統性を判断することと責任を担うことの関係性が曖昧になっているかもしれません。
「KPI」は、まだまだ真の能力を発揮できていません。
WEB領域に限らず、事業目標全体で俯瞰して見てこそ真に役立つと言えないでしょうか。
その役割を、私はWEBマーケッターこそ担っていると考えます。
肩書きに縛られず、PVやCVなどの数字だけを追うのではなく、返品率、満足度、キャッシュフローへの影響、社会的責任なども、ウォッチするべきです。マーケッターの本分は、広告を取り扱うだけでは無いはずです。
特に昨今はWEBそのものを事業と定義している企業も少なくありません。そうした企業が、資料請求や売上だけを目標にKPI設定をしている限り、CPAは下がりようが無いとどれほど指摘されようと、事業の改善の余地は大いに残されていると言えるのではないでしょうか。
【参考文献】
※1:世界を変えたビジネス思想家/ダイヤモンド社/2006年1月27日
※2:アクセス解析ツールに「魔法の解決策」はない
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2011/04/05/9720
※3:KPIを組織へ統合して関心をもってもらう方法
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2011/06/14/9729
※4:ドラッカー「マネジメント」研究会「マネジメント・スコアカード」分科会
http://drucker-ws.org/D_management/H22-100727_MSC_bunkakai_report.pdf
※5:「マネジメント・スコアカード」体系化の試み
http://www.kisc.meiji.ac.jp/~pfd/aboutdrucker/pdf/06_fujishima_vol2_2008.pdf
※6:シャープやパナソニックやソニーの凋落を、広告人や広告会社はもっと恥じるべきじゃないかな
http://www.satonao.com/archives/2013/03/post_3511.html