統計は嘘をつく~その数字は信用できるのか?

今回はある本を紹介したいと思います。経済史家であるモルテン・イェルウェン著「統計はウソをつく」です。

 

モルテン・イェルウェン 渡辺景子
青土社 2015-07-24

 

本の帯になかなかエキサイティングな一文が記載されたいます。

 

数字やデータは客観的なものであって、決して主観的なものではないはずだ。ましてや国際機関が使用する数字であれば…。世界銀行やIMFが使用するデータが経済の実態をまったく反映していなかったという衝撃の事実があきらかにされる迫真のドキュメント!

 

ね、興味をそそられませんか?

 

いま、あなたが分析している「数字」は正しいのか?

いつの時代も、数字の偽装は簡単に行われています。

2015年10月で言えば、マンション建設における杭偽装です。杭が支持層まで到達したかを表すデータが偽装されていたことが発覚しました。その他にもセメント量偽装、地盤調査データ偽装と、あらゆる偽装問題が噴き出しています。

建築業界では、10年前にも耐震偽装問題が発覚しており、業界としての姿勢が疑われかねない事態です。

この他にも、一昨年までの10年間にまとめた千葉県警の交通死亡事故統計に、165件の事故が計上されていなかったことが発覚しました。

交通事故による死亡事故を統計データとして報告する際に、数字が計上されないような工夫(交通死亡事故は24時間以内に死亡した人数を計上するが、あえて24時間以降に死亡したことにしていた)を施していたのです。

いずれの問題も、今回紹介する本に通ずるものがあります。客観的なはずの数字が意図的に操作され、真実を反映していない「数」に仕上がり、それを関係者以外が真実として受け止めているという点です

 

この本の序文は、ロジャー・C・リデル氏のある言葉が引用されています。

「入手可能なアフリカのデータをめぐる最も根本的な問題はおそらく、データが不正確であることは広く知られているが、どこまで不正確かは簡単に判断できないということだろう」

この言葉には2つの問題が含まれていることがわかります。

1つは統計局が公表するパブリックなデータであっても信用されていないこと、もう1つは信用されていないために判断材料として適していないがそれ以外のデータが存在しないことです。

もし、いま日常的に使っている「数字」が客観的ではなく操作されていたら? 客観的な数字は測りようがなかったら? この本では、そうした問題を丹念に解き明かしていきます。

著書はアフリカ大陸に足を運び、統計局で働く公務員に対して「どうやってそれを知ったんですか?」「あなたの方法はどんなものですか?」と聞いていったそうです。嫌な顔をされたこともあったでしょう。その丹念な質的調査に脱帽です。

 

「統計がウソをつく」ことの何が問題なのか?

さて、統計データがウソだったとして、いったい何が問題でしょうか。この本では、国連国民経済計算体系を使って説明します。

聞き馴染みのない言葉ですが、この体系を使って国内総生産(GNP)と国民総所得(GNI)が計算されます。つまり、アフリカなどの開発援助が行われる国において、重要な開発進行指標となる所得と経済成長は、この計算体系が絶対に必要です。

そもそも経済成長とは、年間を通じて経済上行われたすべての付加価値ある活動の価値を合算し、その国のその年の人口で割り、さらに価格変動の補佐が入ることで算出されます。そのためには、すべての活動が測定できて、かつ人口が数値化されている前提に立ちます。

ここまでの精緻さは先進諸国でも達成が難しく、例えば(本格的な)国勢調査は10年に1回しか行われません。

では、果たしてこのような現状において、ミレニアム開発目標(詳細はコチラ)を達成せんと取り組んでいる様々な人たちの活動は、本当に現状に即しているのか?と著者は粗族な疑問を投げかけます。

 

すべての問題は、先進国に比べて活動の質に問題がある統計局の存在にあります。

文中、ザンビアではこうした計算がたった一人の人間の手によって作成されていることを明らかにしています。

「私がいなくなったら、どうなるんでしょう」と言ったそうですが、それは使命感ではなく、現実としての問題提起でもあり、いかに統計局が虐げられているかもわかります。

すなわち活動の質は、国内の政治体制・機構の問題でもあるわけです。

 

戦後すぐの日本で、食糧難から数百万の餓死者が出ると予想され、当時の吉田茂首相はマッカーサーに泣きつき、450万トンの食糧輸入を要請したそうですが、実際は70万トンで事足りました。

統計データのデタラメぶりを非難したマッカーサーに対して吉田茂は「わが国の統計が完備していたなら、あんな無謀な戦争はやらなかった」と返した−というエピソードがあります。

統計が国を誤らせた例ですが、これをキッカケに日本の統計の質は向上したとも言われています。

 

正確に測れないことがそもそも問題ですが、それだけでなく、指摘することが政治問題化することも問題です。すなわち度が過ぎれば内政干渉になってしまいます。

デジタルマーケティングの事例で言えば、社長の鶴の一声で導入されたツールの指標の定義が間違っているけど、それを指摘すると社長の失政に繋がるから仕方なく間違った数字を正にして仕事に取り組んでいるようなものでしょうか。

 

正確でないぐらいなら、問題では無いという考えもあるでしょう。すなわち、アフリカに数多くある諸問題よりも、目を尖らせて指摘するような優先事項の高い問題なのか?と思われる人もいるでしょう。

では今、アフリカの現場で何が起きているのか?について著書は次のように紹介します。

例えば、タンザニアでは経済成長率が期間・発表者によって全く違っています。さらに国の根幹とも言える人口についても全く実態を現しているとは言えないそうです。

そもそも統計とは国家統治の基本資料でもあるわけで(参考:「統計学」の始まりと、長いようで短い歴史について)、もはやガバナンスの問題ですらあります。

この本の帯にビル・ゲイツが登場するのも、彼自身がアフリカなどの発展途上国を支援していることと無縁では無いでしょう。

 

まとめ

立派な国際的機関が発表している数字と言えども、正確とは限らない。そのことを、この本は訴えます。

大事なことは数字のみを鵜呑みにするのではなく、実際に現場に立って数字の発生源を理解すること。ビッグデータの時代だからこそ、気をつけなければならない教訓をこの本から得ることができるのではないでしょうか。

 

モルテン・イェルウェン 渡辺景子
青土社

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